心の中のトラウマを全部書いて克服してみる。(ダーク)
幼少期見知らぬ子供たちと遊んでいて、数人ほどに石を沢山投げられたこと。
ある意味強くなった。どの意味だろうか・・・
小学5年生の時に友達とねんど山という小さな山の中で遊んでいるときに「ターザン」という呼び名の誰かが作った簡易的な木にロープを吊るしただけの粗末な遊び道具、今思うとこのようなロープが吊るされた場所が俺が知る限り何か所かあった。
そこで事件が起きた、当時友人だったEにおふざけでロープ先端部の足をかける輪っか状の先端部分に俺自身が首をかけて、「見てみてー首吊りごっこー」と言いつつ、自分自身で俺自身でロープに首を両手でかけたのだ。少し体重をかけて口からブクブク泡を吹く振りをしつつ、体重をかけなかったり自重を用いり調整しているうちに、本当に死にかけたのだ。そこから死に対する恐怖心が今なら思う、影響を与えたのだなと。幼子ながらに、と言っても9歳やそこらだが。
死にかけている最中はただただ苦しかった映像や漫画の絵から想像するものとは遥かに違った。俺自身から意識が遠のき魂が離れ俺自身の姿が上から見えた。
今振り返るとあれが「死」の直前だったんだと振り返れる。
その後に俺はもともと思い込みが強い性格だったがさらに強くなった。どれだけか?当時とてもじゃないが世間一般で言う優等生とは程遠かった。
成績なんてものは落ちたときには気にしなかったが、というよりそれ自体を「首を吊って死にかけたせいにした俺が馬鹿なのは一回首を吊って死にかけて脳に酸素が数分回らなかったせいで成績が悪いんだと」
今思うと滅茶苦茶だ、時系列がなんらなっていない。成績が下がり始め遊ぶことばかりに本腰を入れていた小学生高学年時代に成績が下がり「首を吊って死にかけた」ことのせいにした、そこから成績なんてものは「首を吊って死にかけた」せいにしたことによりどんどん下がっていた、俺自身小学校高学年の勉強がそんなに好きじゃなかったことにも起因するが、それにしても「死の淵」を本当の意味で覗きかけた俺はそこからさらに好奇心がもっともっと旺盛になったのだと大人になった今ながらに考え思う。